人を裁く神というのは存在しないのですが(いろいろ矛盾するので)、なぜか世界中の教育に概念が蔓延していて、俺たちの価値観を強力に汚染しています。そんな「裁く神」の遠い親戚、「神もやっているのだから」と行いを正当化してしまっている人について、特徴と対処法をお話しします。
※よく考えたらたくさんいすぎてぜんぜん「潜んで」ないですね!
そういえば似たようなことを書きました→もっと周囲にあぶねー奴認定をして自分を守れ!②「スルーしちゃダメ」
人を裁くのがやめられない人からは離れる
※回答からの抜粋なのでいきなり始まります。
(前略)
とにかくさっさと離れたほうがいいのは、条件(必要性)の幻想をこじらせて日常的に人を裁いている人。
態度(在り方)に一貫性がないことだけが一貫しているような人。
これはもうシンプルに危険です。
深入りはおすすめしません。
現在未来あなたが私の気分を害さない限りは関係してやろう(気分を害さないことが関係継続の条件であり、精神の安定のためには自分が気分を害さない周囲の気の利いた対応が必要)
※もちろん気分を害す害さないの基準はその他要因によっても変動する可変式のものであり、明確に固定できるものではない。自分でもわからないからとりあえずそれを「常識」と呼ぶ。
ただし、1回でも害したらあらゆる批判の概念を持ってあなたを否定、拒絶するからそのつもりで。
尚、その際にこれまでのポジティブな思い出やギブなどは一切私のあなたへの糾弾を緩める効果を成さない。そういったものも“あなたのせいで”無価値になったのであるから、私は微塵も悪くないのであなたはその点においても責められるべきである。
……といった感じの人です。
けっこういるんですよ。俺も何人も見てきました。
こういう人は、
「自分は寛大でバランスの取れた人間だが、あなたはそんな寛大な私の琴線に触れたのだ(明らかな異常者である、ありえない、理解できない、信じられない)」
という態度で糾弾してきます。
この場合には謝罪、反省、今後二度と繰り返さないという誓いを求められることが多いです。(とりあえずしとけばいいです。抵抗して同じレベルにまで堕ちる必要はまったくないです!)
こういう人があなたの身近(影響力の範囲内)にいるのであれば、まずはとにかく離れたほうがいいです。
物理的な距離を取るのが困難なら、とにかく意識、認識をくれてやらないこと。
見ちゃダメ、聞いちゃダメ、描写しちゃダメ。考えちゃダメ。心に住まわせてはダメ。みなぎっちゃうから。
あと抵抗しないこと。抵抗すれば相手はかえって強くなります。
彼らの存在意義はあなたの在り方の定義の素材になること「対極を見る」
対極として、あなたの理想的な在り方の定義に役立てることが、何よりの彼らへの贈り物になります。
人を裁きまくることで自我を定義している危なっかしい人がいても、あなたは裁かなければいい。人を裁きまくることが、どれだけ不安定で、みっともないかを彼らから学んで、同じことをしないようにすればよいのです。
それがあなたの視点から見た世界に於ける彼らの存在意義です。言ってしまえば、体を張って「裁きの幻想」に囚われるのがどういうことなのかを見せてくれているのです。あなたがそれを学び取ると、彼らは役目を終えて離れる運命になります。
あながち真実から外れてもいないので語弊を恐れずにこのナイーブな言葉をチョイスしますが、「成仏」します。
もし運悪く影響下に入ってしまった、裁きのターゲットにされてしまった場合に、あなた側がすることは、最善だと思う理想的な在り方がすぐ出せるならそれを披露して(これがメインディッシュだし)、いつもよりも腸内環境をケアして感情をポジティブに転びやすい状態にキープすること、それだけです。
「在り方とかよくわからんわ」という人は、腸内環境のケアだけでオッケー。それは想定外の理想的な在り方を連れてくるから。
【最強】最も憎むべき相手の幸せを祈る
こういう場合に、「相手の為に祈ってやる」というのが、嘘みたいな好意的な化学反応をあなたの中に起こします。(これ万能なんじゃないかな)
特定の誰かがねっとりと心にまとわりついて離れないとき、それをよく溶かしてくれるのが「相手の幸せを祈る」です。めっちゃよく離れる。
これにより、対象に「過ぎ去ったもの」という属性を与えることができます。「過ぎ去ったもの」が存続できるか否かはこちらの意識(認識)次第ですから、影響をコントロールすることができるようになります。
最初はフリでいいです。(ていうか最初はみんなフリのはずです)フリも続けていれば気持ちがこもってきちゃうから。そのこもった気持ちの分だけ、相手はあなたから離れなければならなくなります。
以上です。
ありがとうございました。
裁きの神が現れる前兆→裁きの神はこういうコミュニティにいる
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