【臨死体験】魂の世界で“何か”と対話してきた話

20代の前半に1回、まじで死にかけたことがあります。その時に見てきた不思議な世界と、突然語りかけてきた何者かとの対話についてお話します。生きてるってサイコーです。

若気の至り!急性アルコール中毒

原因は、まあよくある急性アルコール中毒です。

皆が敬遠するような強い酒を5リットルくらい飲みました。あれはね、致死量の向こう側だったと思いますよ。

 

酔いつぶれて「もう飲めねえ」ってなっていればよかったのですが、なんかその日は意識もクリアで青天井で飲めたんです。

 

いきなりきました。

 

ウィスキーのストレートをグイッとやったところまでは覚えています。

気がついたら、俺は光の中にいました。




無重力のとにかく気持ち良い“光”

360度どこを見回しても光。上も下も右も左もない光の世界でした。音はありません。

他に言葉がないので「光」と言っていますが、厳密には「光っぽい何か」です。すごい輝いているんですけど全然眩しくなくて、とにかく気持ち良いんですよ!肉体的な感覚で捉えられる快感とはまったく違う、この世のもので例えようのない絶対的な気持ち良さです。

 

あと、すっごい自由。とても身軽でとてつもなく自由なんです。

 

上も下も右も左もないので位置はわからないのですが、なんか概念的に前と後ろはわかりました。

進めば進むほど、さっきよりも気持ち良くなっていきます。気持ち良いわ身軽で楽しいわで、「こんなに笑顔になったのいつぶりだろう」ってくらい、にっこにこしながらぐんぐんふわふわ進んでいきます。

 

 

どのくらい進んだでしょうか。だんだんこの世界にも慣れてきたように感じていたと思います。

すると、ちょっと先にもっと強い圧倒的な光を感じました。その光の前では、今まで光だと思っていたものはパステルイエローなんじゃないかと思うくらいの、絶対的な光。

 

その光と今までの光が混ざるかなー、っていう汽水域みたいなところに来た時、いきなり俺の中に“概念”が飛び込んできました。便宜上対話形式にしますが、声ではないです。

 

此処から先はこれまであなたが体感したものとは比較にならないくらいの無限の歓喜の世界だ

ワオ!

この先へ進みたいか?

YES!!

心残りはないか?あなたが今まで大切にしていたものはそのままの形では存在しないし、取り戻すこともできない。引き返すこともできない

ちょっと待って

 

俺はここで年老いた両親のことを思い出して引き返したのでした。

……だと美しいのですが、違いました。

 

すごい印象が悪くなるかもしれないのですが、

  • 年老いた両親
  • 婚約者
  • 親友

みんな吹っ飛びました。順番に。

すみません、ほんっと気持ち良かったんですよ……。もちろん心の中で謝りましたけれども(-_-;)

「明日口座に8億円振り込まれます」

ってなったら、たぶん誰しもだいたいのことはどうでもよくなって、すごいセルフィッシュになると思います。そんな感じです。(?)

 

よし、心残りなし!無限の彼方へさあ行くぞっ!と、前のめりになったところで、漫画みたいに「おっととととと!」ってなりました。

直前で思い出した心残り「釈迦の哲学」

 

あ、釈迦の哲学……。

 

再婚の両親の遅い子だった俺は、幼い頃から様々な宗派の寺に連れて行かれました。

祖父とか祖母とか、顔も知らない叔父とか叔母とか従兄弟とかで、既に亡くなっている人が多かったので、その墓参り的なものだったと思います。田舎特有のつながりで、近所の世話になった人の親族の墓参りもしていたので、どこまでが自分の親族だったのか今でもわからないくらいです。

 

墓参りの後はだいたいお骨を管理している寺の住職さんとちょっと話してから帰るのですが、田舎だからヒマしてるのか、その話が毎回長い。

でも、じっと聞いていると「小さいのに偉い!」って褒められるので、毎回じっと聞いていました。

さらに、相槌打ったり、質問したりすると、親からされたこともないような、ものすごい褒められ方をすることがわかり、(時々「フリ」でしたけど)熱心に話を聞くようになりました。

 

そういうのを続けているうちに、住職さん方は親にではなくて、俺に話すようになってきました。明らかに俺向けにカスタマイズされた仏教の話を聞かされているうちに、だんだんと自分でも仏教について調べるようになり、気がつけば仏教少年になっていたのでした。

いろんな宗派の住職さんから話を聞かされていたので、特定の宗派はなく、「とりあえず“釈迦”っていうすごい頭のいい人が残した哲学」みたいな感覚でした。

 

……で、仏教哲学の探求は、大人になって好きなように本を買えるようになってからむしろ加熱し(宗教関連の書籍は高いから)、中村元さんの経典の翻訳とかめちゃ読みましたし、ちょっと飛び出してカントとかヘーゲルとか、ウィトゲンシュタインとかそのへんのいわゆる西洋の哲学書にも手を出すようになって、西洋の哲学の中に釈迦の教えを発見して喜ぶような健康的な青年になっていました。

 

 

他はともかく(すまない)、まだ全部を知らない釈迦の哲学は心残りだぞ……。

だってそれも無いんだよな……。

もう探求できないってこと?

 

それは、嫌だ。

 

よ、よし、あそこの本屋さんで1時間半だけ、仏教書を立ち読みして来よう!!

そんで、気が済んだらぜったいここに戻って来よう。1時間半、1時間半だけっ!

 

すっごい名案だと思いましたね。

なんで1時間半だったのかはわかりませんけど、俺は目の前の光に未練なく飛び込むために、最後に引っかかった未練を解消しに、来た方へ走って戻りました。




「うわー戻ってくるんじゃなかった」強い後悔

わーー!!

AEDが迫って来ていました。次に感じたのは股間の激痛。あと腕になんか刺さってて痛い。※ティムポにぶっといカテーテルと、腕に点滴が刺さっていました。

 

中二病だったのか知りませんけど、お医者さんはニコッとして

 

おかえり、9%

って言って去って行ったんですよ。

 

「キューパーセント?は?」

 

ポカーンとしている俺に、AEDを片付けている看護師さんが

「あなたが帰ってくる確率よ」

と通訳してくれました。聞いたら心臓が何回も停まって、これ(AED)かましてダメならもうダメだわってとこまでいったらしいです。どういう計算式なんですかね。

 

あ、今の臨死体験だったってこと?

不思議と「怖っ!!」とはなりませんでした。まあお酒がゴリゴリ残っていたからかもしれませんけど。

 

一生懸命蘇生させてくれたお医者さんや看護師さんにはほんっと申し訳ないですけど、嘘ついても仕方ないのでぶっちゃけますと、「よかった……」とも思わなかったんです。断じて。

だって、あまりにも気持ち良かったから。それに引き換え、なにこの身体の重さは。さっきまでの身軽さとか自由さとかぜんぜんありません。なんなら大気の重さまで感じるくらいの束縛感。

 

もうこっちが夢であっちが現実でいいよぉ……。戻してくれぇ……。

 

そんなことを思ったのでした。

おわりに「戻ってきてほんとうによかった!!」

当時はなんていうかいろいろ未熟なクソガキでしたので、生き返ったことにぜんぜん感謝できませんでしたけど、今は超感謝してます。生きているってサイコーです。

 

賽の河原も三途の川もない、「行くんじゃない!!」って止めてくれる人もいない、めちゃシンプルデザインの臨死体験でしたが、今振り返ってみて思うのは、

「釈迦の哲学探求しといてよかった」

ということではなくて、

 

あそこで語りかけてきた“何か”がやんわりと嘘をついてくれてよかった

 

ということです。あれが神様的なものだったとしたら、神様は嘘つかないので、「勘違いしてよかった」とも言えます。

 

自分で言うのもあれですけど、けっこうなインパクトのある体験だったと思います。ですが、これがきっかけになって生命の神秘に目覚めて人生めっちゃ変わった!とかそういうのはなかったです。戻ったのは悲しいくらいに普通すぎる日常でした。

結局、飲み会でかなり強烈に席の空気をもっていける話題くらいにしかなりませんでした。……この後、別の体験をして、あの時の“何か”と再会するまでは。

 

 

以上です。長くなりました!

ありがとうございました(^^)




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