その和顔愛語、大丈夫?人に優しくしているのに、なぜか人間関係でネガティブな事案が絶えないあなたに知ってほしい、美徳とされている和顔愛語にたちこめるニオイと、隠されたおいしいモノ。
目次
「逃避」の擬態としての和顔愛語
僕もそうだったけど多くの人は、和顔も愛語もとにかくばら撒きゃいいと思っている。なぜならそれが美徳だから。
- それやっときゃとりあえずなんとかなる
- 功徳?がある
- 仮に何か不幸が降り掛かっても、後で神とか仏が天からお詫びの幸運を届けてくれる
いや、待て待て。
判断することから逃げるな。
考えることから逃げるな。
嫌われる恐怖から逃げるな。
浅すぎる踏み込みからの一撃ごめんね☆
③とかとくに、返ってくるとしてもなんでそれがすぐ返ってくると思っちゃってんのかしら。生きている間に返ってくるかもわからんのに。
このリターンは確かにあるのだけれど、いつ訪れるかわからないそれを満足感の足場にして和顔愛語を貫くのはなかなかの高等技術です。いきなりやってみるとすごい修羅の道が展開される。
ものすごいタフで万能で無敵のマインドなのだけれど、股割りといっしょで徐々に慣らしていかないとダメなやつ。
大半の人は、近日中のリターンを強く期待してしまう。
当然、かなりの確率でその期待を裏切られて、天に向かって中指を立てて、せっかくの和顔愛語の功徳?をぶち消して、っていうのを繰り返しているよね。
楽しそうで何より(^^)
和顔愛語は祭り上げられた「作られた美徳」
これについてはあなたも、あなたの親も、義務教育であなたを教えた教師も誰も悪くなくて、たぶんWGIP(GHQが徹底的にやったやつ)の一貫。いや本当に。違ってたらゴメンやけど、他に彼らがやったことと同じニオイがムンムンするし、何よりモロに彼らの目的に一致した仕上がりになってるからそう思う。
過去にナチュラルに和顔愛語してた優しい人たちがどういう運命を辿ったかは、アメリカンスピリットのパッケージに書いてある人たちの歴史を調べるとよくわかる。
明らかな悪意敵意を持って接近してくる相手に和顔愛語で接したら制圧されるだけ。
悪影響しかなさそうな相手に和顔愛語で接したら悪影響を受けるだけ。
良心のネジがぶっ飛んだような相手に和顔愛語で接したら傷を受けるだけ。
こういう相手への正しい対処は拒絶。関係を構築させず、こちらの人生に立ち入らせない無色透明な反応。しつこいようなら戦闘も必要でしょう。誰だって義務教育を受ける前は体で知っていたし、そうしていたはずなのだけれど……。また組合の仕業か。
とにかくこれに限らず「○○だから」の後の「なんで?」への回答がボケボケになるタイプの概念が柱になっている行動は、無意識に誰かに利益を供給し続ける仕込まれた洗脳プログラムの可能性が高いので、探してみると退屈しないですよ!(「美徳だから」「仕事だから」)
無闇な和顔愛語はわりと近い未来に災厄をばらまく
まず自分自身に和顔愛語できていない人が周囲に和顔愛語なんかしないほうがいいです。周囲への和顔愛語の出力は自分にできているのと同レベル以上であってはダメです。経験的に。
なんかしらんけど現状が不幸なかんじになります。
今まで美徳だと思って八方美人していた人は、お疲れ様。明日からとりあえず一回やめちゃっていいです。すごい楽になりますよ。
僕の場合だと、和顔愛語の出力絞ったら周囲の人間がどんどん自分からウ○コ投げつけるみたいにして本性表して消えていきました。目を背けないでちゃんと分析してみたら、その人たちは普通の人に擬態したばちくそ危ない人たちでした。
無闇な和顔愛語は、味音痴な人が料理を無償で振る舞うのに似ている。周囲は有難がるかもしれないけれど、当然彼には相応のリスクも待っているだろうことは簡単に想像がつきます。
心の底から無償で振る舞うならまだしも、彼がもし心の中で見返りを期待しているとしたらなおさら彼の人生はこの先地獄的になるでしょう。彼がすべきはまず振る舞うのをやめて美味しいものを食べ歩くことです。
なぜかあなたも順番を逆に教わっているみたいですけど、人に優しくするよりも自分に優しくするほうがずっと難しいんですよ。一生できない人もいるし。みんな鏡は嫌いってことですね。
和顔愛語の根底に隠れているおいしいモノ
あなたが目を背けている、その和顔愛語のとくに愛語の根底にある感情こそ重要。和顔は無意識でできるけれど、愛語は思考しないと出てこないから、その思考ロジックの動力源になった感情にこそ、ものすごいおいしいヒントが隠れている。
その尻尾を掴むことは、きっとあなたが長年かけている(かけさせられている?)視界のフィルターが1,2枚軽くふっ飛ぶくらいの「体験」になるでしょう。
【はいはい陰謀論】破壊された日本人の危機回避能力
とかく日本人は何故か身近に現れる相手を
- 「やべー奴かもしれない」
- 「心に何かしらの欠陥をお持ちの方かもしれない」
- 「脳の働きに影響する遺伝子に欠損をお持ちかもしれない」
という仮定をしない。不思議なくらいに。
断言するけれど、この仮定を生活に取り入れるだけで、あなたが人間関係から受けるダメージは7割はカットできる。予防になるし、免疫になるし、事後の回復にも役立つ。(この意味がわからなければ、釈迦の説いた空も慈悲も一生理解できない)
それは生きていく上でとても大切な危機回避能力の発現なのに、それを○されているとしか思えない。少なくともペリーに黒船で脅されて鎖国やめちゃうまでは日本人はその感覚をバリバリ持っていた。
この仮定の対局にある概念が美徳に擬態しているものこそが世間でいう和顔愛語だし、某△に目のマークの秘密結社が理想に掲げる「友愛」だ。ちなみにペリーはそのフリーなんちゃらのメンバーだったそうです。うわーすごい偶然。
日本人は島国故にこの危機回避能力に関しては群を抜いて長けていた。それ故日本ではペリーとかフランシスコ・ザビエルが持ち込んだアレが全然普及しなかった。
「あなたの隣人を愛せ」は半分正しいけど半分すごい間違ってる。最初に隣人愛を説いた人間はそれもセットで教えているはずなのだが、なぜか抜かれている。あれの真意は「あなたと同じようにあなたの隣人を愛せ」だったはずなのに。
つまり島国なのに外から来るものを笑顔ではいはい受け入れろってことか。
例えば移民とか?
まるで植民地みたいですね!
やばい超ウケるwww
そして悲劇的なことに、国内に一般的な日本人がどの程度クソな人間を許せるのか(受け入れられるのか)試験するために意図的に且つ徹底的に人間性を破壊された人間のコミュニティが存在する。それは破壊工作という複合的な目的も持っている。そのコミュニティの人間こそ彼らが作りたい日本人像だし、僕たち日本人の近未来の姿です。
かつての僕と同じように、無意識にまで浸透してしまった和顔愛語の美徳のせいで「ようわからんけど憂鬱!」みたいな状態になっているあなたの明日が少しでもアガりますように。
以上です。
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