前回は周囲の嫌なやつがあなたに嫌なことをしてくるエネルギー源を遮断する方法を紹介しました。それだけでもけっこう十分な変化はあるのですが、今回はもっとしっかりと蓋をする方法をご紹介します(実体験)
☆前回↓
まずは感情を“受け流す”といいよ!→日常の悩み苦しみの原因を無力化する方法(とくに嫌なやつ編)
目次
反応をする時のこの“ちょい足し”が相手を無力化する
「早くそういうのやめられて楽になるといいね」
これです。何か相手からのアプローチがあって、感情と距離を置いた反応をする際にもうひと押し!これを心の中で唱えるだけでオッケーです。
リアルで口に出すと大炎上必至なので、心の中だけでいいです。結局相手の中で起こる反応は同じなのですが、直接ぶちこむのはあまりにもかわいそうで、あなたにもいらん攻撃がいくはずなのでやめたほうがいいです。
これを反応に混ぜ込むと、相手にはあなたがなんか底知れない大きなものに見えます。簡単にいえばオトナに見えているような感じ。これが相手の深層心理に恐怖となってじわじわ響きます。
後述しますが嫌がらせをしてくるような人というのはそういうタイプの恐怖に対してめちゃくちゃ脆いので効きます。※これ唱えてる時の目がとくに刺さるようです。
渾身の拳(嫌がらせというのは体力の消耗の激しい“必死な”行為です)を避けられて、「貴様の拳はすでに見切った」と言われているようなもんです。
それにしたって、ただ避けているだけだとラッキーかと思われて当たるまで打ってきます。「見切ったよ。まだやるの?」ってちゃんと態度で示さないと。これはそういう効果のあるやつです。
あらゆる嫌がらせの動機は恐怖
十人十色、無限にあるように思える人間の動機ですが、実はその根源は愛か恐怖のどちらかしかないです。ぜったいどちらかで行動しています。人間のあらゆる攻撃は恐怖からくるもので、それは同時に「助けて!」という叫びです。よーく耳を澄ましたらわかります。※「だから許せ」って言っているんじゃないですよ!くれぐれも。
「助けて」?
何から?
空虚な自我とその解決を放棄&長年放置した結果、気づいたら迷い込んでいた、どこかもわからん、帰り方もわからん場所(そこ)で感じている強い孤独と終わりなく降り注ぐ不安、ですかね。
信じられないかもしれませんが、嫌がらせをしてくる人というのは、あなたを通して自我への恐怖を感じているのです。
彼らは自分が得られないと決めつけている(諦めている)何らかのアドバンテージをあなたに見て、それをまずは無意識で恐怖し、意識で嫉妬しているのです。
ええ、どこによ?
そして、そのアドバンテージをあなた自身がまったく気づけていないか、もしくは知ってはいても使い方を全くわかっていないことが、相手にますます恐怖(嫉妬)を感じさせています。もしも謙遜しているならとっととやめて、ちゃんと自分のいいところを直視しましょう。
多くの場合この謙遜という植え付けられた美徳が、自分を正しく知ることを妨害しているのですが、リアルの世界であなたを不幸にしているマインドのどこが美徳やねん。いらんわそんなもん!謙遜したからって強いやつにはなれないけど、強いやつになれば勝手に謙遜するから。そして前者の謙遜はどこかジメッとしていて、後者の謙遜はなんか爽やかなものなの。
簡単に恐怖に舵取りをさせてしまう人というのは、自我がぐらぐらで外界にビビりまくっていて落ち着きがありませんので、人間についての深い洞察はできません。それすら彼らにとっては恐怖です。
なので、彼らがあなたに見ているアドバンテージはすごい表面的なものです。せいぜい、
- ルックスが優れている→容姿へのコンプレックスの裏返し
- 声が優れている→声へのコンプレックスの裏返し
- 体型が優れている→体型へのコンプレックスの裏返し
- 髪がきれい→髪へのコンプレックスの裏返し
- 人当たりがいい→人当たりへのコンプレックスの裏返し
そんなところです。
あなたが相手以上にあなたのことを知っていれば、あらゆる嫌がらせは称賛に変化します。これはまじです。感覚の上で、上記の「→」が「=」になって、むしろそんな体を張ってまでこちらがとっくに把握している自分の一面を指摘してくれる相手が、なんかこう「じわっ」と愛おしくなって、逆にいいところを指摘してお返ししてあげたくなります。
で、「怖がらなくても大丈夫だよ、あなたもめっちゃいいとこあるよ?」って気づかせてあげたくなります。いいところがまったくない人間なんて存在しないからね!うふ。
恐怖を与えて対抗するのは正しいのか
きっと心やさしい繊細な抱きしめたくなっちゃうあなたは、
とか考えたかもしれませんね。
「早くそういうのやめられて楽になるといいね」
100人いたら100人ともが「愛」と認めるような言葉を心の中で唱えているだけなのでオッケーです。え、何がいけんのん?
それに恐怖するかしないかは相手の自由なわけですし、恐怖することを強制しているわけでもありません。え、むしろなんで愛情かけられて恐怖しとん?それお前が後ろ暗いところあるからやろ?知らんがな。って感じです。
実際にこれで嫌がらせを消した時の話
以前、ある職場で特定の上司(Aさんとします)からけっこうしつこく嫌がらせ(いやもうあれはイジメや)を受けていたんですね。それも俺だけ笑
他の人に聞いたら
「えー、Aさんめっちゃいい人よぉ」
とか言うのに、俺だけ初対面の時からもうすごいの。
「あれー、俺あなたの親でも◯したかしら?」
って思うくらい目の敵。
とりあえずこういう場合、
「なんか悪いことしたかなあ」
って反省してみようとしますけど、身に覚えがなさすぎてそれも無理。
まあそうなると次は怒りがこみ上げてくるわけですよ。だって超絶理不尽じゃないですか。俺も
「ふざけんな◯ね!」
みたいな態度を取り始めました。
激化しました。
もう待ってましたと言わんばかりに相手もいきいき俺に嫌がらせをしてくるようになり、俺はどんどん疲弊していきました。
「もう疲れた」戦の放棄と“気づき”
怒りとか恨みとかをずっと身体に留めておくってめちゃくちゃ疲れるじゃないですか。しかも相手には立場上の利があるわけで、潰しにかかったら逆に潰されるのは目に見えているわけです。なにこの負け戦……。
で、対抗するのを止めたんですね。「放棄した」っていうとすごく近い。するとまずは一回肩の荷が下りて楽になりました。
それでも相手は嫌がらせを続けてきます。でももうネガティブな感情を手放した楽さを知っちゃってるので、
「ふざけんな◯ね!」
には戻れません。次に浮かんだのは
「よう飽きもせず続けるなあ……(ご苦労さんやでぇ……)」
という、これまでにないくらい距離を置いた感覚でした。
そこで初めて、
「なんでこんなしょーもないことしてるんだろ?」
という疑問が浮かびました。「俺何かしたっけ?」ではなく「なんでこの人はこんなこと飽きもせず続けてるんだろうか?」という意味です。
ほんの数分ですが、相手になってみて嫌がらせをしまくっているところを想像してみたんですね。
そしたら一気にすべてが繋がりました。これまで気にも留めなかった、相手のちょっとした仕草だとか言動だとか態度とか、それらすべてが強いコンプレックスの存在を示していました。
逆に、そういう動機がないとすると、これだけの労力の要る行動を続ける理由の説明がつかないのです。(何かの修行かしら?)
どんどん見えてきたいじめの動機
仮説を立てたらあとは検証です。
実際に
「えー、Aさんめっちゃいい人よぉ」
とか抜かしている言っている、Aさんと日頃から飲み会とか行っている人たちに
「Aさんってどんな人?」
「プライベートってどんな感じ?」
って聞き込みをしてみました。
大当たりでした。
Aさんはコンプレックスの塊で、超がつくほどの寂しがり屋で、疑心暗鬼で、原因なのか結果なのか知りませんけどプライベートもぐっちゃくちゃ。婚約者との関係も崩壊寸前でした。正直、ちょっと同情しましたけども、
「だからって俺に嫌がらせして良いことにはならんやろ!」
と新たな怒りがこみ上げてきたのも事実です。
当時の俺もそこそこ苦しみを抱えていましたけど、Aさんみたいに他人を攻撃して現実逃避しなければやっていられないレベルではありませんでしたし、何かの逃避で周囲にネガティブをばら撒いて気を紛らす、という世界へのアプローチは最悪中の最悪、と経験で知っていたので、彼がこれから体験するであろう自分が生み出した結果を考えると、同情のほうがちょっと勝ちました。
「早くそういうのやめられて楽になるといいね」を唱え始めた結果
そこで初めて、
(あんたも大変やなあ)早くそういうのやめられて楽になるといいね……
を心で唱えるようになりました。
嫌がらせの回数が激減し、なんか避けられるようになりました。
仲良くできるようになったわけではありませんが、普通に仕事上の会話をできるようになりました。
……ここで一件落着、でも良いのですが、この後の結末をちゃんと書かないとダメだと思うので書きます。
Aさんは精神を病んで退職しました。
それも、トドメになったのは、いつも俺を指名して下さる常連のお客様を接客態度で激怒させて、本社を巻き込むレベルの大クレームにまで発展したことでした。徹底的に人格を否定されたそうで、彼の中で何かが切れたのでしょう。
彼が自らの因の果実を刈り取っただけなのか、俺の「早く楽になるといいね」の言霊の力なのか、単なる偶然なのかはわかりませんが、2年続いたAさんとの関係は思わぬ形で終わったのでした。
もう俺の中で当時既に終わっていたので、それ以上の仕返しなんてまったく望んでいませんでしたし、それは今も当然そうです。むしろまだ“そこ”にいるなら手を貸してあげたい!だってあれだけ激しい反応をしたきっかけである俺はきっと、彼の抱える問題のコアにかなり近いはずだから。
彼が今、体験の蓄積の中でこれまでの外界へのアプローチが間違っていたことに気づき、少しでも自由で軽快な心で暮らしていることを望みます。
以上です。最後のはなんか怪談みたいになっちゃいましたね(^_^;)
この長くなった記事があなたの一助になれば幸いです。
ありがとうございました。
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