【やめとけ】いじめを解決したくてやった失敗「呪詛・◯ね!他」

いじめられていた時代に俺が実際にやったことで、やめときゃよかったと思うことを紹介します。俺の失敗を参考にして、あなたは解決への最短ルートを行ってくれ!

個人的にあまりおすすめしない解決へのアプローチ3つ

  1. 呪詛
  2. 死ね死ね言いまくる
  3. 宗教に答えを求める

これらは実際にやったことがあるのですが、まあおすすめしません。

俺が実証済みなので、今いじめに悩むあなたがわざわざ人生の貴重な時間を使ってまで二の足を踏む必要はまったくないです。

 

俺は常に“効率(目的に照らして最大限に効果的か?)”を重視しているのですが、

  • ①②は効率が悪いとかそういう次元ではなく逆効果です
  • ③は有効かもしれませんが確率が絡んでしまい極めて効率が悪いです

 

理由を説明します。

呪詛をやるとこっちサイドに理解不能な不幸が相次ぐ

カミングアウトみたいになると思うんですけど、高校時代呪詛をやりました。

 

 

え、呪詛とかやったことあんの?きっも!

 

っていう人が大半じゃないかな。

ええ、やりましたとも。

 

子どもがやる

「おまえのこと呪うからな!」

とかそんなカワイイのじゃなくて、

 

ガチでマジのテキスト(合計6,000円くらい)を入手して、そこに書いてあるツールをキッチリ用意して、部屋に祭壇まで組んでやりました。

 

半年くらい毎日、親の心配を巧みにかわしながら部屋にこもってやっていました。(多分バレてたけど、なんか新しい宗教に目覚めたとか思われていたのかな?)

 

全然ダメでした。

望んでいたような、相手が不運に見舞われて「ざまあみろwww」とかそういうのが起こることはなく、それ以上に殺意にまで高まっていた、人を恨む気持ちや怒りの感情にどっぷり漬かっていた自分にけっこうな害が及びました。

俺自身だけでなく、俺サイドの全然関係ないところで、なんかこう不幸が相次いだのです。

 

俺この数年後にもろに第六感が開いちゃうんですけど、その時に「呪詛は何より自分自身にとってやべえ」と知りました。

恨みや怒りそれ自体はまったく問題ないよ!

あ、今理不尽ないじめに悩む人で、あまりにも悔しくて、怒りや恨む気持ちが高まりすぎて殺意っぽくなってしまっている、という人もいるかもしれませんけど、それ自体が害を呼ぶわけではないので安心して下さい。

それはとても自然なことです。俺はもう30を過ぎましたけど、顔にたわしを投げられたらたぶん今でも怒ります。

 

怒っている自分、誰かを恨んでしまっている自分を否定しないで。

湧いてくる否定的な感情に命を吹き込まないで。

 

感情それ自体は全く問題ない。問題はそれに自分の在り方を左右させてしまうこと。

在り方にまで顕在化した感情は必ず現実をその色に動かしてしまう。潜在意識は自分と他人を区別できないから、まあよろしくない奇跡がいっぱい起こります。

死ね死ね言いまくると死にたくなるようなことがたくさん起こる

ここで詳しく書いていますが、これは社会人時代に露骨なスケープゴートにされていた時のことです。

 

リアルで、けっこうな刺激の好ましくないことが次々起こって、気がついたら死にたくなるような状態になりますので、これだけは本当に言ってはダメ。

言い続けたところでべつに相手は氏にませんし、万が一それ言いまくっている時に、不幸な事故で相手が本当に氏んでしまったらこっちが一生苦しむことになります。

 

ダメ、ゼッタイ!

宗教に答えを求めると解決がギャンブルになる

めちゃくちゃナイーブなテーマなので荒れるかなーと思ったんですけど、いきます。

※まず、俺はどこの宗教にも所属していませんしこれからも所属するつもりはありません。イエスもブッダもムハンマドも人類の先輩として尊敬していますし普通にファンです。彼らの教えについての蔵書も多いです。(彼らはおまえらの専売特許ではないはずです)

 

ここはさらっと、俺が「宗教は非効率」と考える理由を話します。

現に世界中で争いの種になっている(機能性に疑問)

開祖が亡くなってからもうミレニアム以上の時間が経過していますが、その間に彼らの信奉者が何を起こしたかを考えると、教えの解釈に開祖との大きな乖離を感じますし、それらを経て形を変えてきた現在の宗教には争いの問題解決に於ける機能性に疑問が残ります。

状況に応じた意訳が必要である(時間がかかる)

現在残っている教えには、開祖のものではない教えが山ほど「開祖の言葉」として入り込んでいます(途中で誰かが言った「俺はこう思うんだけどね」みたいなのまで)。

仮に開祖の教えそのままの言葉に運良く出会えたとしても、社会情勢や価値観が違いすぎるため、そのままの形では役に立たない場合が多く、個々人の状況に応じた意訳が求められますが、多くの宗教はそういった疑念・挑戦を許しません。

また、効果的な意訳をするにはその開祖の他の教えについての知識と、それによって問題を解決した体験もそれなりにないと極めて失敗しやすいです(実体験)

 

そうなると、奇跡みたいに人々の悩みを解決してきた開祖の教えをよーく理解していて、且つ挑戦や疑問も受け付けるニュートラルなマインドを持った、意訳の上手い親切で腰の低い人に出会えればオッケーということになるのですが、え、いますそんな人?

宗教の人ってどっちかっていうとあれなこと多いじゃないですか……

【余談】俺が見てきた宗教の人たち

実際、高校時代にいじめられていた時、悩んで悩んで答えが出なくて、近所の新興宗教の施設に「教えて下さい」って訪問したことがあるんですが、いきなり不審者扱いされて屈強な信者5人に囲まれて、その上で一方的に「今トップは不在だがうちの教えはすばらしい。入信すればわかる」みたいなことを高圧的に言われて追い返されました。

他のとこでは「あーい(今、事務作業中で忙しいんだよめんどくせえな)」みたいな対応をされました。

 

また、ある時公園で声をかけてきた宗教の人は、神の存在と運命論を信じさせることで優越(エクスタシー)しようとしているのが見え見えで、

「(なうこんなにつらい状況に置かれているのだから)神などいない」

「これが運命だと?(ふざけるな)」

と頑なに言い張る俺と、最後は喧嘩になりました。

おわりに「筋トレ・腸内環境のケア」

以上がおすすめしない解決へのアプローチです。けっこうやってしまう人多いんじゃないかな。

やっぱり筋トレ、腸内環境のケアのほうが確実性が高く且つ効率的なので、そちらがおすすめです。

 

 

あなたの明日が最高になりますように(^^)

ありがとうございました。




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